レジス・カンポのスピーチ ACCEPTANCE ADDRESS (IN JAPANESE) BY RÉGIS CAMPO - FRENCH ACADEMY OF FINE ARTS 03/04/2019 - INSTITUT DE FRANCE


ACCEPTANCE ADDRESS (IN JAPANESE) BY RÉGIS CAMPO UPON THE OCCASION OF BECOMING A MEMBER OF THE FRENCH ACADEMY OF FINE ARTS 
ON WEDNESDAY, 03/04/2019 - INSTITUT DE FRANCE
レジス・カンポのスピーチ

さて、この恐ろしい時がやってきました !

もう逃げられません。

丸屋根のてっぺんに隠れることもできません。

ガルド・レピュブリケーヌと尊敬する芸術アカデミー終身書記長に、すぐに見つかってしまうでしょう。

ほどんと不可能とも言える修辞訓練を実行しなければならない時が来たのです。

これほどまでに敬服する前任者の賛辞をする時が ! 

こういう場では皆幾分動揺し、広いテーマを何度も見直さなければなりません。

J私も何度も見直しました。

さまざまな修辞様式を考えました。コミカル? 悲劇的? アカデミック? びっくり調子?

それとも、道化風? 鈍重? さもしげなノイローゼ風? とりとめないアルコール症風? ユピテル風かつエリゼ風?

どれでもありません。

シンプルさを選びました。

皆が愛する偉大な人物を前にした時のあのシンプルさです。

光栄にも私が後任として受け継ぐ、シャルル・シェーヌの眼差しを思い出すからです。

そうです、彼のシンプルな眼差しを。

彼の大きな目を。

シャルル・シェーヌは、子供が感嘆した時に見せる目をずっと持ち続けていたのです


LES MÈRES DES COMPOSITEURS
作曲家の母たち


シェーヌは、生ま故郷のトゥールーズで、ピアニストでオルガニストだった彼の母に若き音楽家としての指南を得ました。

「母は、教会でパイプオルガンを弾いていました。(ミサのある)日曜日は、全く素晴らしい、何か途方もないような思い出として心に残っています。」

まるで船のマストの上にいるかのようにオルガンがある階廊に陣取っている彼を想像します。小さなシャルルは途方もないことを夢見ていたのです。このようにして、子供の想像力が発進し始めたのです。

子供時代に母と過ごした魔法のような時は、生涯の思い出として刻まれました。

作曲家の誰もが母の声を決して忘れはしません。

お腹の中にいる時からすでに、母は最初の音楽の脈動を伝えてくれるのです。それは、心臓が打つ音です。


APPRENTISSAGE 
音楽のレッスン


5歳になったシャルル・シェーヌは、素晴らしく秀でたヴァイオリニストだった父のイレネー・シェーヌにヴァイオリンの手ほどきを受けました。

父は、12歳になった息子に、和声学と対位法を学ぶことを勧めました。この時初めて作曲を手がけたのです。

どれだけの父が、私たちのアーティストとしての、人間としての人生を導いてくれたことでしょうか。

私自身、子供時代に、父の絵画に魅了されていました。レンブラントの『黄金の兜をかぶった男』の模写です。暗闇の中に不吉な鋭い視線の兵士が描かれています。

部屋のなかを動くたびに、この黄金の兜の男が目で私を追っているように感じていました。

私は、この絵は生きていて、黄金の兜の男の目が本当に動いていると信じてやみませんでした。

時には、この絵を見てスリルを楽しんでいたのです。

こうして私の人生に空想の世界が入ってきました。

ずっと後になって、アムステルダムでレンブラントのオリジナル絵画を観る機会を得た時、それは生彩のない父の絵のコピーだと思いました。

黄金の兜の男の目は動いていなかったからです。深く失望しました。

レンブラントは、父の絵の模写がすこぶる下手だったのです。

この時、私たちは子供時代からずっと、好きな芸術作品を自分のものとしていたことに気づきました。

これらの作品は、私たちの命が作り出す新しい作品となっていったのです。

17歳になったシャルル・シェーヌは、パリ音楽院で勉強を続けました。

有名ないくつものオーケストラでヴァイオリニストとして活躍していましたが、キャバレーで弾いたり、オペレッタも弾いていました。

この時期から、秀でたオーケストレーションを残すようになりました。

彼はこう言っています。

「戦時中の学生時代、オーケストラのヴァイオリニストとして本当に多くを学んだので、それ以降オーケストレーションの教科書を開くことはありませんでした。」

1948年、シャルル・シェーヌは、マルセイユ出身で、熱気にあふれた色彩感ある音楽を創るダリウス・ミヨーの弟子となりました。

学生時代、パリ音楽院のある教授が彼にこう言いました。「あなたは自分がいいと思うことしかしないんですね。」

作曲家として、なんと素晴らしい欠点でしょうか。

私たちが、威信高い学士院の丸屋根の下に今日こうして集っているのは、皆子供の頃からまさに「自分がいいと思うことしかやってこなかった」からではないでしょうか。


LUMIÈRE DE ROME 
ローマの光


1951年、シャルル・シェーヌは威厳あるローマ大賞を受賞し、ヴィラ・メディシスの寄宿制として3年間の予定でまばゆいローマに旅立ちました。

ローマは彼にとって常に根源的な場所でした。

ローマは、彼が地中海地方から受けた影響の中心に位置する、典型的な自由と光の街だったのです。

彼はこの時イタリアを知ります。戦後の、ほとんど中世的なイタリアの村々。トスカーナ地方の街々。エトルリア芸術の美術館や博物館、前ルネサンス時代のイタリア絵画。

作曲家としての創作に、絵画は大きな影響を与えます。

しかし、私がとくに驚くのは、彼がアンリ・ルソーの作品に魅了されていたことです。

シャルル・シェーヌはその作品に、(彼自身の言葉を借りると)ルソーという色彩画家の才能に隠れた「深い感情の浸透」を見出したそうです。

創作者たちの見せかけのシンプルさに気をつけましょう。オリヴィエ・メシアン、エリック・サティ、画家ミロなどのそれです。

このようなシンプルさのずっと奥の方には、人生、死に向けられた、激しく深い、生々しい視線が隠れているのです


L'HOMME DE RADIO
ラジオ人間


1957年、シャルル・シェーヌは、現在のラジオ・フランスの前身であるRTF(フランスラジオ・テレビ放送協会)のプロデューサーになります。

この頃のフランスラジオ協会の責任者は、ジャン・タルディユー、ポール・ジルソン、アンリ・デュティユー、アンリ・バローなど、詩人や作曲家でした。

彼は、生涯の友人だった作曲家のマリウス・コンスタンとともに、のちにフランス・ミュージック局となる重要なラジオ局「フランスIV」の音楽プログラムの責任者となりました。

さらに1965年から10年間にわたって「フランスIV」の局長となり、その後ラジオフランス(フランス放送協会)の創作部長に任命されます。

彼は、作曲家の人生とは、楽派論争から離れて、社会の中でいろいろなものを分かち合う人生であることを理解しました。

彼の言葉を引用したいと思います。

「ラジオは考えられないほど私を豊かにしてくれました。というのは、現在に生きている音楽をその中で体験することができるからです。

ラジオによって、フランス国内外で今起こっている事に精通することができます。

ラジオのおかげで常に自分が動いていると感じることができるのです。それは硬化を防ぎ、音楽を書くうえでの励ましとなります。」

シャルル・シェーヌは、自由で何のシステムも持たない音楽を主張して、こう言います。

「純粋な技術よりも感情的な要素が優先される。」

さらにあるインタビューでこう言っています。

「私はロマンチック・リリカルな人間です」

シャルル・シェーヌがロマンチックだとは!

これはもう、全く個人内面の、しかし根本的な領域に入りこもうとしています


LA FEMME


1950年代にパリ音楽院で学んでいた時、シャルル・シェーヌは、若きピアニスト、オデット・ドコーに出会います。

彼女はピアノ、和声学、音楽史、室内楽を勉強していました。

オデットとシャルルは切っても切り離せない音楽デュオとなりました。

オデットはそれ以来70年間近くを彼の妻として過ごします。

絶対的な永遠の愛情においては、たす2ではなく、無限となります。

オデットとシャルルは、音楽、クリエーション、愛情が深く絡み合う理想的なカップルでした。

オデット・シェーヌは、偉大な音楽家で素晴らしく鋭い耳を持っており、リゲティの『ル・グラン・マカーブル』やメシアンの『アッシジの聖フランソワ』などを始めとする多くの大オペラになくてはならない練習ピアニストとなりました。

妻のおかげでシャルル・シェーヌは、オペラを体で体験します。

シャルル・シェーヌ自身の言葉を借りると、オデットは「生涯のチャンス」として、彼のあらゆる重要なクリエーション、つまりピアノ作品(すべて彼女のために書かれました)やオペラに参加します。

彼は後に妻についてこう語っています。

「彼女は私が考えたこと、想像したこと、感動の情熱を内包する音楽を、全くその通りにわかっています。」

想像できますか?「夫が考えていることをすべてわかっている妻」。

もしそれが本当に可能ならどんなに危険か想像してみて下さい

ここで、サッシャ・ギトリーが女性について語った言葉が思い出されます。

「私は女性に対す』。『ぴったりくっついて』対する。」

サッシャ・ギトリーのように、皆女性に『ぴったりくっついて』対しようではありませんか。

急いで女性に『ぴったりくっつく』音楽を作曲しようではありませんか。

あらゆることを、女性に『ぴったりくっついて』あらゆることをしましょう!...

話がそれてしまいました。本題に戻りましょう。



TEMPS ORIENTAL 
東洋的時間


私は22歳の時、マルセイユで初めてシャルル・シェーヌに出会いました。

サン・ヴィクトル修道院で行われていた大きな音楽祭が彼にオマージュを捧げており、そのコンサートに作曲家が臨席していたのです。

妻のオデットが、アルジェリアのサハラ砂漠の旅にインスピレーションを得た彼のピアノ組曲『M’Zab』を演奏しました。

その呪縛的、瞑想的で、同時に衝撃的な音楽に聴き入りました。

この演奏会の夜、私は心の中で旅をしました。

マルセイユの旧港に近いこの修道院が、地面から離れて港を発ち、地中海を渡ってアフリカにまで旅をするように感じました。

シャルル・シェーヌはこの作品を詩的に次のように表現しています。

「地方に特有の音がはかなく遠くにあらわれ、強迫観念的なプロセスに囚われたこの時間を、全くオリエント的にとらえる」

そしてこう付け加えます。

「独自の時間のなかに流れる音楽の中で、時間を超えた夢が現出するのです。」

このサン・ヴィクトル修道院は実際に動いて、海を渡ったのかもしれません。

修道院はもしかしたら本当に大船に変化して私を遠い地に運んで行き、私はもうそこから帰ってこれなかったかもしれません。

これはおそらくあらゆる創作者が生涯をかけて行う東洋への旅なのでしょう。片道切符による帰還のない旅立ち。

またシェーヌの言葉を引用しましょう。

「魔法の探究に旅立ち、芸術分野に常につきもののこの魔法の一部分を、自分の中に見い出すのです。」

1983年、偉大な歌手クリスティアンヌ・エダ=ピエールにインスパイアされて作曲した最初のオペラ『エルジェーベト』がパリ・オペラ座で初演されます。

作品は、城の地下で600人もの若い農民を拷問にかけて殺害した罪に問われた、ハンガリーの伯爵夫人の人生を物語っています。

オペラのテーマとしては野蛮・磊落で祝祭的ともいえますが

作品は大変な成功を収めました。

オリヴィエ・メシアンは、テーマに唖然としながらも、素晴らしい音楽を賞賛しシェーヌに礼を示しました。

この成功に力をなして、シャルル・シェーヌは、さらに4曲のオペラを作曲します。 

『血の婚礼』、『ヨカステ』、『セシリア』、そして2007年の『ミ・アモーレ』です。

これらの4曲のオペラでは女性が常に、尋常ではないほど優勢な役割を担っています。

それはシャルル・シェーヌが時代を先取りしたフェミニストを自称していたからでしょう ! 


LE MYSTÈRE, LE MERVEILLEUX
神秘、驚嘆


シャルル・シェーヌは、創作行為のなかで直感をあらゆるものの上に置いています。

それは、子供があるものをつかむ時の、何の考えもなしにする、自然で活発な行為です。

シェーヌは私たちに打ち明けます。 

「作曲とは、自分の隠れた部分を、謎の存在を、手が届かないと思われる他人に打ち明けるということです。」

その通りです。

「自分の隠れた部分を、他人に打ち明けるということです。」

音楽作品は、愛情にあふれたとめどもない高まりの中で出現するものなのです。

なぜかならば、音楽作品とは、心による不可思議な素質だからです。

作曲家アンリ・デュティユーも、音楽を書くという行為の中で、この「瞬間の神秘」を好んでいました。

「瞬間の神秘」!

ここに集ったクリエーターである友人たちも、このような魔法の瞬間の探究を熟知しています!

思いもかけなかたアイデアが現れる稀な瞬間、その時、それに感嘆し、心は「いたるところに中心があってどこにも周のない、無限の球体」のなかに埋まるのです。「いたるところに中心があってどこにも周のない、無限の球体」です。

私は、ブレーズ・パスカルの、この意味のわからない、けれどとても美しい言葉が好きです。

今日、この丸屋根の下で、私たちがこうやって集っているのは、「いたるところに中心があってどこにも周のない、無限の球体」の中でなのかもしれないという気持ちにかられています!

シャルル・シェーヌは、その驚嘆の感覚でもって、フランスの大巨匠の遺産を継続しています。

その遺産とは、オリヴィエ・メシアンと音楽的に目が眩むようなあのアイデア、アンリ・デュティユーとめくるめく陶酔・聖なるものに対する彼の愛情、そして、モーリス・オアナとその呪縛的錯乱です。

シャルル・シェーヌは信仰心深い人間で、ヨーロッパ以外の、中国、インド北部、日本、アゼルバイジャン、ガボン、ブルンジ他、多くのアフリカや東洋の国の口承伝統に糧を得たキリスト教徒でした。

シェーヌはとくに、聖書に出てくる「燃える灌木」を見つけにシナイ山を登ったという創作家として名を残しています。

音楽アイデアが奇跡的に出現することで、私たちは震え、驚嘆の中に入り込むのです。

このような驚嘆の状態を、私たちは人生の瞬間ごとに待ち構えているのです。


LA TENTATION DE LA JOIE 
喜びへの誘惑


私たちは皆、創造することを愛しています。

他の人のために創造すること。

それによって喜びに溢れます。

そして私たちは、その喜びを分かち合うことが好きです。

喜びは、楽観主義や悲観主義とは無関係です。

喜びは、悪への誘惑や人生の過酷さから私たちを守ってくれます。

喜びは世界に対する愛情関係と言えます。

けれど、喜びはひとりでに現れるものではありません。

喜びを維持するには、毎日、自分自身と戦わなくてはならないのです。

なぜなら、喜びとは、守り抜かなければならない、すぐに消えてしまう小さな炎だからです。

私は、オリヴィエ・メシアンがモーツァルトの微笑みについて語った次の言葉が好きです。

「喪に服していても、苦悩の中でも、空腹や寒さに苛まれていても、無理解に苦しんだり、死の淵にある時でも、モーツァルトはいつも微笑んでいた。彼の音楽も微笑んでいたのだ。」

モーツァルトは友人たちにこう言っていたそうです。

「私が君に何か演奏して差し上げる前に、君が好きなものを言ってくれ。」

「君が好きなものを言ってくれ。」

私はシンプルなスピーチをすると言いましたが、ここに来てセンチメンタルになってしまいました。


本当のことを言うと、ありえない話を事実だと信じ込ませるような、もう少し奇妙なスピーチにしたかったのです。

なぜかと言うと、私は今日、常に信じられないような世界を創り出している、天才的な創作家や発明家の集まりに加えていただくからです。

途方もない話をでっち上げたかったのです。

例えば

子供時代、マルセイユの不思議な小道のベンチに、シャルル・シェーヌの《変貌》のオーケストラ総譜があるのを見つけ、

その難解な記譜法を解読したとか、

または

あるキャバレーで、指揮者で作曲家のローラン・プティジラールがターバンを頭に被ったマハラジャに変装して、ペルシャの美貌の女性ダンサーを空中に浮かせている魔術を見たとか。

子供時代、気球が着陸するのを見たいと思っていました。

写真家のヤン・アルテュス=ベルトランが私に、学士院の友人たちとともに、彼と一緒に気球のゴンドラに乗るように言って、空中の不思議な旅にたつとか。

私たちはこの旅をするでしょう。

とくに、ある日、遠い島で作曲家シャルル・シェーヌに再会して、自分が彼に忠実であり、恐れ入っていることを伝えたいのです。

そして、その日はやってきました。

親愛なる同朋のみなさま。みなさまは私をあなた方の仲間として呼び入れてくださいました。永遠に。

私はみなさまとともに、学士院の丸屋根という金の気球に乗って、空中への旅へと出発します。

作曲セクションの第7の椅子に居を構えることで、私は多くの先人たちに続きます。

オリヴィエ・メシアン。マリウス・コンスタン。シャルル・シェーヌ。

私はこうして「不滅の人」となりました 死ぬまでが「不滅」です。

最後に、あるエピソードを紹介させていただきます。

20171026日、セーヌ川のコンティ河岸を歩いていました。フランス学士院の建物に入ると、詩人、作家、劇作家のアカデミー・フランセーズ会員のルネ・ド・オバルディアに初めて会いました。

一目惚れの友情にとらわれました。

私たちはお互いに微笑みました。笑いました。

それから、本質的なことについて話し合いました。

ポルト酒、ポーランドの収容所での蚤競争、ミシェル・シモンと彼の雌猿ザザとの特別な関係などです。

そして、私はルネ・ド・オバルディアに訪ねました。「長寿の秘訣は何ですか?」

彼は即座に答えました。

「私は人生にびっくり仰天しているんだよ。毎朝、目が覚めた時に。」

「セボビール」。私はこのフランス語の言葉が大好きです。

そして彼は私にこう言いました。「人生とは夢だと感じているんだが、違うかね?」

私は、「そうですね。そうかもしれません。」と答えました。

そう。人生が夢であるとは、おそらく本当かもしれません。

彼が言いたかったことが、今やっとわかるようになりました。人生を、夢の中であるかのように過ごしなさいと。

あの日、ルネ・ド・オバルディアは人生について深い教訓を残してくれました。これを、常に心がけたいと思います。

それは「驚嘆する」ということです。

そうです。

「驚嘆する」ことを決して忘れてはなりません。

「びっくり仰天する」ことを。

これは、実際は、単なる訓練の問題なのです。

親愛なる同朋の皆さま、皆さま方の仲間になることは言い尽くせない喜びです!

私は十分にびっくり仰天しています!

今日私は、皆さま方のおかげで、人生においてきわめて重要な時間を、夢の中に気持ちよく迷いながら過ごしています。

ありがとうございました。


(traduction : Victoria-Tomoko Okada)

Installation Ceremony of Régis Campo under the Coupole online in the website of the Académie de beaux-arts (directed by Quentin Lazzarotto, April 3rd 2019, Institut de France).

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